皆さんは、45歳を過ぎた時に終身刑になったらどうしますか?当然、絶望して生きる気力なんかなくなりますよね。今日の映画はそんな状況に陥っても希望を失わなかった人物を描いた2013年のアメリカ映画です。
アパルトヘイト政策への抗議
1948年に国民党が第一党になり、白人と黒人の居住地域からすべてを分離するアパルトヘイト政策を実施されます。
弁護士であるマンデラは、黒人の自由を求めて政治活動しまが、活動に没頭しすぎて、最初の奥さんに逃げられちゃいます(原因は浮気ですが・・結構女ったらしだったんですね)
そして、二番目の奥さんウイニーと結婚します。
1960年、身分証明書の常時携行という法律に反対して集まった群衆に警官が発砲して、百数十人が死傷するという悲惨な事件が起こるんです。
マンデラは自分の身分証明書を焼いて抗議、地下に潜り闘争をつづけますが、アジトが警察に見つかり逮捕されてしまします。
1963年裁判でマンデラは、死刑を覚悟して被告人席から民衆へ声明を送るんですよね。
「自由で民主的な社会、全ての人々が平等な機会を持てる社会の実現のために力を尽くす。そのためには死ぬ覚悟はできている」
判決は終身刑
27年間の投獄
1964年ロベン島の刑務所に送られます。
ひどい扱い。
過酷な労働。
普通の人であれば絶望するでしょう。
マンデラは、狭い独房の中でも腕立伏せをしたりして体を鍛えたりして、希望を捨てないところが普通の人とは違うんですよね。
「時間はある。小さなことから要求しよう。まずは長ズボンだ。」といって、仲間を鼓舞します。
そのような中、政治活動を続けていた奥さんのウイニーまで逮捕されてしまいます。自分が原因で母親と離れ離れにされてしまう子供たちのことを思い、心を痛めます。
さらに悲劇が襲います。
交通事故による息子の死を知らされるのです。
そのような絶望下でも、娘のジンジと面会したマンデラは言います
「私は力強く希望に満ちている。求められることには喜んで答える」
こんなに強い人っているんですね。私だったら愚痴っていますね。
そうこうしているうちに、世界では、南アフリカ製品のボイコットやマンデラの釈放運動がおこるようになってきます。
1982年、政府は、マンデラたちをケープタウンの刑務所に移送します。
ロベン島の刑務所での生活は18年間経過していました。
ますます、黒人たちの自由への運動激化していき、政府は、運動を押さえるために、マンデラの釈放を利用しようと画策しますが、
マンデラは、「民衆の自由と私の自由は切り離せない」との声明を娘のジンジに託し拒否します。
そして、マンデラが70歳を向かるころ、政府は家族といつでも会える特別な監獄に移し、新たな提案をします
・マンデラと仲間の釈放
・人種差別法の撤廃
・そのかわりに一人一票制は認めない
マンデラは、「NO!」
最終的に政府の方が折れて、大統領との面会が実現します。
「あなたを無条件で釈放します」
釈放
1990年2月 釈放
1992年政府は「白人と黒人の共同統治」という改革を受け入れますが、白人側の民衆も黒人側の民衆も認めません。さらに、黒人同士での闘争までも起こり激化していきます。
そんな状況下で、ある住民からの「マンデラ、平和なんかいらない。武器をくれ」という声に対して、マンデラは答えます。
「我々に先にある道は1つ。平和だ」
「私は投獄によって人生の27年間を失った。それでも私は彼らを許した。私が彼らを許せるなら、あなた方も許せるはずだ」
「我々は戦闘に勝つことはできないが、選挙に勝つことはできる」
「家で穏やかにすごそう。そして投票日が来たら、票を投じよう!」
1994年4月 選挙が行われました。
この映画を観て思ったのは、マンデラさんのような過酷な状況下を乗り越えることは無理であっても、私が、今後経験することぐらい、おそらく大したことないなぁ、と感じました。
マンデラさんが、釈放されたのが72歳、大統領になったのは76歳です。
「まだまだ、いろいろなことに挑戦できるなぁ」と勇気づけられた映画でした。
いま、何かの壁に当たって悩んでいる方にお勧めの映画です。
成功するために大切なのは、どこから始めるのかではなく、どれだけ高く目標を定めるかである。(ネルソン・マンデラ)
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。(ネルソン・マンデラ)
何事も成功するまでは不可能に思えるものである。(ネルソン・マンデラ)
ネルソン・マンデラの名言・格言
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