YouTubeの「RED Chair」という番組で、大好きだったプロボクサーの辰吉𠀋一郎さんのインタビューを見ました。ヒーローだった辰吉さんですが、正直、なんか痛々しい感じもしました。でも、一言一言のお答えが深いような気がしました。
それぞれの生き方
今、サラリーマンでも経済的に自立し、早期引退を実現する「FIRE」が、注目を集めています。一方で、私の周りにもいらっしゃいますが、生きている限りこの仕事を続けたいという人がいます。
スポーツ選手でも、「えっ、まだできるでしょ?」っていう全盛期に引退した、サッカーの中田英寿さんやテニスの伊達公子さん(その後復帰しましたが)がいます。一方で、「そんなにボロボロまでやらなくても」という感じの昨年引退した、野球選手の松坂大輔さんがいます。
辰吉さんも松坂さんも、世界で活躍した日本人ですから、現役を引退しても、第2の人生は約束されていたはずです。なぜ、現役にこだわったって頑張ることができる(た)のでしょうか? 私のような凡人は、お二人のような才能はありませんから、健康で長く頑張るしか方法はありません。この辰吉さんのインタビューは、私に勇気を与えてくれるものでした
辰吉さんが語ったこと
Q引退:「考えていない」
Q敵 :「自分」
Q不安:「いっぱいある」
Qバッシング:「めっちゃある」
Q弱点:「めっちゃある」
Q宝物:「家族」
Qお金の価値;
「お金が発生するからこれをやらなきゃいかん」「お金をもらっているからしゃないやん」「仕事だからしょうがないやん」
という人を見て、
「おまえ金で操られるなや」「金ってそんなに偉いのか」 「お金って人が作ったもので、人が操ってやってるわけでしょ。それに踊らされて、それが欲しいがために一生懸命自分の身を粉にしながらやっていくのって、アホらしきない?」
Q今は目の前の試合が決まっていない中で、「努力が報われないな」と思いませんか:
「そういうことは考えたこともないし、いつ来るかわからないチャンスあるじゃないですか。それに備えているのも事実やし。ぐうたらしている自分が許せんっていうのもある」「ボクシング自体が嫌と考えたことは一回もない」
Qどうして引退をしないのか:
「日本って三度目の正直っていう言葉があるじゃないですか。僕、2回返り咲いてるです。3つ目を取ったら終わりなんです。それだけのこと」
「箸にも棒にもかかってないんでね。だから一人でもがいてます。」
「結局、ボクシングが好きなんです」
「RED Chair」より
辰吉𠀋一郎
辰吉さんのことをご存じない方もいらっしゃると思いますので、振り返りたいと思います。
1994年12月4日 日本中が熱狂したボクシングの試合があったことを覚えています。
WBC世界バンタム級王座統一戦 「薬師寺保栄VS.辰吉𠀋一郎」
正規チャンピオンの薬師寺と暫定チャンピオンの辰吉との日本人同士の世界戦は、視聴率が50%を超える凄い試合でした。
辰吉𠀋一郎は、デビュー8戦目に世界チャンピオンになった天才ボクサー、その大阪のやんちゃ坊主のようなキャラクターから日本中の人気者で、私も大ファンでした。
辰吉のボクシング人生は波乱万丈で、失ったタイトルを取り返したと思ったら、網膜剥離により事実上の引退の危機。しかし、手術が成功し、WBCから返上していた暫定王者を再び与えられ、JBCからは、特例で現役続行を許可されました。
そして、冒頭に紹介した薬師寺保栄との統一戦になったわけです。薬師寺は、辰吉が世界タイトルを取った時のスパーリングパートナーで、辰吉には全く歯が立たなかったとのことです。その情報からも、日本中のボクシングファンは、辰吉の圧勝を予想していましていました。
試合は、大方の予想を覆し、フルラウンドにわたる死闘の末、薬師寺が判定勝ち。辰吉は暫定王座から陥落。負けたら引退を条件にしていたので、再度引退の危機に立たされます。というか、普通の人だったらここで引退するのではないでしょうか?
しかし・・
ここでも引退を拒否。日本では試合が認められず、アメリカでノンタイトル戦2試合を強行。遂にJBCも折れ、辰吉は世界戦に限り国内で試合を行えることに。その後、2階級制覇を目指し、WBC世界ジュニアフェザー級王者に2度挑戦したものの敗戦。
1997年11月22日、通算5度目の世界挑戦。元のバンタム級に戻し、WBC世界同級王者に挑み、約5年ぶりの世界王座返り咲きを果たした。その後、2度の王座防衛に成功した後に、1998年に防衛に失敗し3度目の世界王座陥落。
翌年、リターンマッチに望んだが、7回TKO負けで雪辱ならず。試合後、現役引退を表明。
しかし、後に引退表明を撤回。 2002年と2003年に1試合ずつ行い、両試合とも勝利。
その後、所属ジムから試合を組む意思がないことを再三にわたって告げられたものの、本人は引退を拒否。あくまで現役続行にこだわり続ける。
2008年、JBCの規定により「引退選手」扱いとなり、国内では試合を行うことができなくなったが、あくまで現役続行にこだわりを見せる。
その後、タイで試合を行い、TKO負けするも、あくまで現役にこだわる。
Wikipediaより
現在でも、インタビューにあるように引退を考えず、トレーニングを欠かしていないそうです。
私はこのインタビューから、ネバーギブアップの精神で何事にも取り組む勇気をいただきました。
☆この記事を作成する際には、Wikipedia辰吉丈一郎を参考にしました。
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