【頑張っている人16】久保田睦子さん(84) のこのしまアイランドパーク創業者の妻

やる気の源

福岡県にある能古島という小さい島を知っていますか?

以前、訪れたことがあるのですが、てっきり自治体か福岡市内の会社が開発し経営していると思っていましが、全く違っていました。

そんな、能古島が、今朝の「サンデーLIVE!!」、松岡修造さんのコーナー「松岡修造のみんながん晴れ」で紹介されていました。

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のこのしまアイランドパーク(夢を実現した素敵なご夫婦)

私も一度訪れたことがあるのですが、福岡市から船で数十分だったと記憶しています。とても小さな島でとても花がきれいだったという、ぼんやりとした印象が残っています。(なんせ十数年前なもでほとんど記憶が・・)

そんな懐かしい能古島が、たった二人のご夫婦が中心となって長い年月をかけて作られたとことを、今朝のテレビを見ていて知りました。

なんと、面積5万坪の芋畑だった能古島は、久保田さんのご主人が計画を立てて、数件の親せきの手で自然公園へ変わっていったというのです。

戦後の重機もない時代です。全てが手作業で行われ15年間もかかったというのです。
(開発業者がゼネコンにやらせたのではないんですね)

15年間、手作業って、気が遠くなるような話ですよね。

特に、大人気のコスモス畑は、2年もかけて50万本のコスモスを植えたとのことです。(これを見に多い日には1万人も島を訪れる)

夢を守り続ける

なぜ、このような広大な自然公園を作ったかというと、亡くなったご主人の耕作さんの夢だったそうです。

「人間はいつか疲れるときがくる」

「自然の中でゆっくりしないと癒されない」

ご主人は福岡の人々やその他大勢の人に、ゆっくりと心を癒す場所を提供したかったのですね。

そして、経営が苦しかった時も、

ジェットコースターとか観覧車を入れたほうが良いという周りのアドバイスに耳を貸さず、

「そんなことをしたら自然を守っているのに、ガチャガチャしてしまう」と断ったそうです。

立派です。

遊園地化したらおそらく簡単に人も集まり、お金にもなったと思います。

私ならば、間違いなく観覧車は作っていたと思います。(福岡市内の夜景がきれいに見えて人気スポットになると思います)

そして、耕作さんが亡くなって15年たった現在も、久保田さんは、耕作さんの意思を継ぎ、大自然を絶対守りながら生きていくと誓っているのです。

のこのしまアイランドパークの歴史

今日は、夢を追い、実現し、その夢を守り続ける素敵なご夫婦の話でした。
とてもいい話だったのでご紹介させていただきました。

夢を見ることができれば、それは実現できる。(ウオルト・ディズニー)

夢を求め続ける勇気があれば、どんな夢も必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。(ウオルト・ディズニー)

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